1. 前職日産自動車での経歴
1989年に、日産自動車に入社しました。最初の配属先は、エンジン設計部でした。
いろいろと仕事を覚えた4年後に、車両設計部への異動を命じられ、また1から仕事を覚えることになりました。2年後に、車両設計部からエンジン設計部に戻りましたが、ここもまた完全未経験業務。非常に苦労しました。
そして、1999年、ルノーとの資本提携を迎えます。提携直前は、ダイムラーとルノーのエンジンラインアップを調べまくりました。2001年から、スカイラインやフェアレディZといった高級車のエンジン開発チームの課長となり、ゴーン改革後に企画された新型車の立ち上げをしました。
2005年から2009年は、商品企画部の部長級として、クルマの企画・収益管理業務に従事しました。最後の1年は、企画部門の総務も経験しました。
2010年からは、グローバル人事部と日本人事部を兼務する部長職にアサインされました。2016年までの6年間で、人件費と人員数の管理、人事制度、新卒採用、中途採用、労働組合対応、人事系の社内広報等、ほぼすべての戦略人事系の業務に従事しました。
在職当時、日産自動車のグローバル従業員数は28万人おりました。この人員数を、内製のHRISを使って予算と実績の管理をしていました。この規模の人員マネジメントを実施している日本企業は、当時なかったので、グローバルチームを率いてStrategic Workforce Planning(戦略的人員計画)のプロセスを整備して、運用していました。